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非日常な日常......

どこにでもいるごく普通(だと本人は思っている)の大学生(心は大学生)がカラフルな日常を語るブログです。ブログ初心者ですが奇抜なアイデアを形にし皆様の腹がよじれるほどおかしな内容の記事を頑張って全力を尽くして書いていきたいと思います。(パソコンのキーボードがキーボードとして機能できなくなるくらいの勢いで魂を込めて書いていきたいと考えております。(笑笑))

不完璧主義

私が ここ最近で自分のマインドに取り入れているセットをご紹介しよう。

それが不完璧主義というものだ。

なんでも完璧に、使い古された言葉だろうが、今もこの言葉を使って物事をなんでも完璧にこなそうとする大人が多い。

しかしこの人たちは完璧主義のデメリットに気づいていない。完璧主義になると例えば物事をこなした時に完璧にこなせることはまずない。なぜなら人間は完璧ではないからだ。完璧ではない人間がやったことが完璧なわけがないのだ。その時に完璧主義の人間は必ず以下の二つの行動のどちらかを各自で選択していや両方の場合もあるが行う。

自分の失敗を他人のせいにして自分の落ち度がないことを証明する。

失敗した原因を自分に求め自分を責める、そしてそのストレスでうつ病や神経性の病気にかかる人間がおおい。

ようは上記のように人を責める人といいかえれば話は分かりやすいだろう。

そして不完璧主義とはどういったものだろうか?

なんでも人間が完璧には物事がこなせないという普遍の事実を受け入れてそういうものだとみなすことによって挑戦する意欲を失わないようにするというメリットがある考え方だこれだけでも非常に魅力的ではないだろうか?

まずこの考え方が魅力があるというのは3つの点がある。

一つ目が自己受容である。完璧に物事がこなせない自分を受け入れているということが精神的にタフな人間をつくりだす。

自己受容の対義語は自己否定である。

そしてこれは完璧主義者が陥りやすいものだと思う。なぜ完璧主義とはが自己否定に陥るかというと完璧でないものをひたすら否定するのが完璧主義者の特徴だからだ。その中には当然、自分自身も含まれている。

 

しかしいくら不完璧主義といっても物事を適当にこなしていいという意味ではない不完璧主義を用いるのは物事をやり終えたあと、すなわち、あとの話である。

やる前から適当にやってもよいと考えているのはもはや論外だ。

 

 

私の経験談だと私は高校生の時まで完璧主義だったと思う。

テストでもなんでも100点じゃないと満足できないし徒競走でも自分が一位じゃないと拗ねて不機嫌になる。

まだまだ高校生の頃は幼稚だったのを今更ながら懐かしく思う。(まあ、実際今も精神年齢的には幼くはあるが)

 

どうでしょうか?

世間では完璧主義が礼賛されていますがこのようにデメリットも存在するということです。

世間のいうことが必ずしも真実とは限らないということですね。